ヤミ米業者 vs. 農協 その5

潟東村の倉庫から運び出されたコメは、いったん北海道に渡りながら買い主のキャンセルにあい、再度、新潟へ。


そして、公然ヤミ米業者として有名な川崎磯信さんが引き取ることになり、富山へと運ばれていきました。


コメ業者側の実力行使の末、倉庫内にあったコメは、よりによって「食糧庁の天敵」である川崎さんのもとへ入ったのです。


なんとも皮肉な結末です。


しかし現場では、その後も監視態勢がとられ、緊迫した状態がつづいていました。


大騒動の現場となった細山商店の倉庫を眺めながら、地元農民と立ち話をしていると、近くで農作業をしていた人達も寄ってきて、私の周りにいつしか人の輪ができました。


みんな土地の人。


内情に詳しい人ばかりです。


そればかりか、問題となった細山商店にコメを売ったという人までいました。


その人の話によると、細山商店は3類のコメを、1俵(60kg)あたり2万3000円で買ってくれたそうです。


同じコメを農協に出した場合、政府米にしかならず、1万6500円にしかならないといいます。


農民がいうには、この近辺では収穫直後の93年δ月上旬時点ですでに、農協とヤミ米業者の間の買い入れ価格には1俵あたり5000円の差がついていたそうです。


この差はその後大きくなる一方です。


収穫量が300俵ほどといいますから、この差はとても大きいのです。


そして、この近辺の農家に出没するヤミ米業者は、問題となった細山商店だけではなく、複数の業者なのだともいいました。

ヤミ米業者 vs. 農協 その4

張り込みから13日目の10月10日未明。


とうとう細山商店側は強行突破の挙に出ました。


午前2時半頃、約30人のグループがトラックなどに分乗して倉庫前に登場。


監視中の職員員4人が乗ったライトバンを持ち上げて、倉庫わきまで移動させ、倉庫内に大型トラック3台を乗り入れました。


そして、大量の米袋を積み込むと、制止する職員を振りきって、次々と走り出していったのです。


現場には、通報を受けた警察官が駆けつけますが、暴力行為などがあったわけではなく、何もせずに引き揚げていきました。


結局、食糧事務所の懸命な努力は徒労に終わったのです。


食糧事務所は、食糧管理法にもとづく立ち入り調査権を持っています。


しかし実際は、具体的な証拠がない限り、強制調査には踏みきれないのです。


ヤミ米が広く流通し、食管法がすっかり形骸化しているという現実があるからです。


ヤミ米業者 vs. 農協 その3

午後11時すぎ、食糧事務所が細山商店の社長宛てにファックスを送りました。


その内容は、


「主食用相当品と思われる未検査米穀が多量に保管されているのを、午後7時に確認した」


というもので、倉庫内への立ち入り調査を重ねて求めました。


しかし、細山商店側からの応答はありませんでした。


こうしてその夜から、張り込み警戒がはじまりました。


倉庫わきの農道に乗用車を止め、そのなかで毛布にくるまっての徹夜の監視です。


これが思わぬ長期戦、互いに一歩も譲らぬ大相撲となったのです。


食糧事務所は、4~5人の職員が昼夜二交代でも24時間態勢をとり、コメの運び出しをなんとしても阻止しようと意気込みました。


これに対し、細山商店側は黙殺の姿勢。


何通もの内容証明郵便を食糧事務所側から送りつけられながら、事情聴取に応じる気配もなく、コメ倉庫前での双方の根競べとなったのです。


ヤミ米業者 vs. 農協 その2

事件のはじまりは、地元の農協や経済連、県農政課、それに新潟食糧事務所で組織した「不正規流通対策協議会」に、ある情報が入ってきたことからでした。


ワイキューブ事務所によるとそれは、村はずれにある特定米穀集荷・販売業者、細山商店の精米工場兼倉庫に、大量の主食用のコメが運び込まれたというもの。


この情報を受けて、食糧事務所側の取り締まり活動がスタートしたのです。


93年9月28日夕暮れ時。


問題の細山商店の倉庫前に食糧事務所職員ら約10人が集合し、即座に倉庫内へ足を踏み入れました。


そして、作業中の従業員に立ち入り調査を求めましたが、拒否されてしまいます。


逆に退去を求められました。


しかしその際、倉庫内に大量の米袋があったのを確認したのです。


細山商店の従業員は倉庫の電灯を消し、シャッターを下ろして内側から錠をかけました。

ヤミ米業者 vs. 農協

「バカだね、食糧事務所も。あんなことやっても、なんにもならないのに」


稲刈りのすんだ田んぼのあぜ道で、腕組みをしていた年配の農民が、吐き捨てるようにこういいました。


その厳しい視線の先には、壁に「新潟産コシヒカこという文字が書かれた大きな倉庫。


そして、倉庫の前には数台の自動車が横づけされ、男達が所在なげに立っています。


新潟県西蒲原郡潟東村。


新潟平野のほぼ中央に位置する静かな農村です。


いうまでもなく、コシヒカリの産地です。


この小さな村のごくありふれたコメ倉庫が、日本中の関心を集めることになりました。


「ヤミ米が運び込まれている」


この情報から、新潟食糧事務所が出動し、24時間態勢の監視をつづけたからです。


スペースコレクション研究所によると、凶作により絶対量が減少したコメの出荷をめぐる、ヤミ米業者と農協、食糧事務所の攻防戦のいわば天王山となったのです。


気になる栃木県の日光市で・・・4

この道でもミズナラやハルニレの巨木が枝を広げ、森の天井を覆っている。
思わず立ち止まり、一本一本をじっくりと見ていたくなる。
木が混み合っていないため見通しがよく、木々は合わせ鏡をのぞくように明るくどこまでも続いている。

ハルニレの巨木が純林をつくるようになると、やがて終点の中禅寺湖。
千手ヶ浜はゆったりとした砂浜で、点々と流木も流れ着いている。
対岸には男体山がこの森を見守るように、ひときわ高くそびえ、端正な山姿を湖面に映している。

四季ごとに森の表情は変わるが、5~6月なら千手ヶ浜周辺のツツジ類、6月には西ノ湖畔のズミなどが美しい。この時期は湖水の日厄も豊か。

冬の森を楽しみたい人は、戦場ヶ原や小田代原周辺のミズナラ林もおすすめ。
赤沼起点にスノーシューなどで3~4時間ほど。

気になる栃木県の日光市で・・・3

さらに森を進むと樹齢500年とも1000年ともいわれるミズナラの巨木もある。太い枝と大きく広げた樹冠が、長年この森を見守り続けた主のように、威風堂々としている。

木々を渡る風が涼しくなってくると、西ノ湖は近い。森に囲まれ、ひっそりとたたずむ湖、季節や天候によって、水位が大きく変わる湖畔には水辺を好むヤチダモの木々が多くみられ、水位が高くなると根元が水に浸かることもあるそうだ。

吊橋までもどって右へ、中禅寺湖へと向かう。あたりには野鳥も多く、6月には子育て真っ最中のアカゲラの姿も見られる。

気になる栃木県の日光市で・・・2

この森を少し行くと、林床が見通しよく透けていて、高いフェンスがめぐらされているところに出る。近年、タネから芽を出したヤチダモやミズナラが、シカに食べられてしまうようになったからだ。

フェンスの内側は下草も青々と茂り、芽生えも無事に育っていて、効果が現われていることがわかる。

その先、林床のところどころに、倒木の上にだけ若木が1列に並んで育っているのを見る。

倒木更新だ、およそ10年ほど前に、下草のササが実を結んでいっせいに枯れ伏すまでは見ることができなかった不思議な光景だ。

気になる栃木県の日光市で・・・

栃木県西部、奥日光にどっかりとそびえる男体山のふもと、中禅寺湖から西ノ湖にかけては、日光でいちばん美しいといわれる森が残っている。

中禅寺湖の西側に位置する西ノ湖は、マイカーで入ることはできない。
赤沼から西ノ湖入口まで、専用のハイブリッドバスのシャトル便を利用する。
このため、観光地日光にあって、静けさが保たれている。

西ノ湖入口のバス停を出発してまもなく、柳沢川の清流を吊橋で渡る。すぐに森の中へと入っていく。

ふた抱え以上もありそうな堂々とした巨木が点在する明るい森だ。

気になる茨城県の大子町で・・・4

林内の植生は多様で、ブナ、ミズナラ、クリ、ケヤキ、カエデ類、シデ類、ダケカンバなどの木と、オタカラコウ、オオモミジガサ、ユキザサ、オヤリハグマなどの下草が代表的なものだ。

この林の左端には、苔むした巨木に囲まれ、「八溝五水」のひとつ、口毛水が清らかに涌き出ている。

これらの湧水は、沢となって流れ落ち、谷川となって久慈川に合流し、大子町を流れ、人々の暮らしを潤してきた。

急坂を登れば山頂の八溝嶺神社に到着。城やぐらの形をした展望台からは360度の展望が楽しめる。
空気の澄んだ日には、遠く富士山も見ることができる。

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