ミケネ文明の発見 2
ミケネ文明の跡は、20世紀になってもいよいよ多く、遺物は豊かになっていきます。
そのなかで、1951年にミケネの城外で発見された円形墓地Bと財宝といってもよいその副葬品、またペロポネソス半島のメッセニアで発見された、トロイア遠征軍の部将ネストルの宮殿は画期的でした。
・・・こうして、今日わたしたちはアテネの国立考古博物館の数室を満たしている、選ばれたミケネ美術を十分に鑑賞することができるのです。
一方、エーゲ文明の重要な中心クレタの発掘は、もう一つの文明を再生させました。
ミケネ文明の遺物は突然に高度な発達の姿で現われています。
そこでそれらはどこかからの伝来であるか、他の高い先進文明の影響でしょうか。
この先進文明とミケネ文明との中聞地として着目されたのが、クレタ島でした。
イギリス人のA・エヴァンズがその解答を与えました。
クレタのクノッソスはギリシアのトロイア遠征軍にその名をつらねているし、ミノス王と迷宮の伝説もあります。
エヴァンズのクノッソス発掘は1900年に始まって、以来20余年、いえそれ以上も続きました。
彼はそこに複雑な大建築と多くの遺物を掘りだしましたが、それらは高い文明の産物でした。
また文字を書いた粘土板も見つかりました。